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  • 2021.02.24 Wednesday

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    エリア30歳と1日 10000日間の営業と経営

    • 2018.07.16 Monday
    • 06:50

    多忙すぎて1日遅くなってしまいましたが、平成元年7月14日から30年を迎えました。

    24歳で30坪スタッフ8名で「HAIR MODE AREA」として藤枝駅南にオープン。

    大東町に平成7年11月23日に移転して23年。

    30年ってあっという間。私も54歳になります。

    お客様・スタッフ・家族・旧友・ディラー関係者に皆様に本当に助けられまして30年やってこれました。

    美容師として今も毎日10名のお客様の「きれい」をサポートすることができ、

    とても充実して、とても幸せな感動ある時間を過ごしています。

     

    30年と2日目。今日もお客様・ご予約いっぱいのサロンで仲間と働けることに感謝します。

    毎日「遠足」に行く子供のように仕事に行く私です。

     

    これからもエリア グループを宜しくお願い致します。

     

    平成30年7月16日 

    2018ワールドカップサッカー 優勝 フランス

    ウィンブルドン 優勝 ジョコビッチ

     

    寝不足の創立記念日となりました。

     

     

    7月13日で、「満25周年」になりました。

    • 2013.07.15 Monday
    • 13:53
     
    今月エリア25周年になりました。

    この職で、もう29年。

    私も、49歳になります。(今は48ですが)

    長女の彩愛は、今月20歳。

    次女の梨勢は、いま美容学生1年生。18歳。

    あっという間ですね〜。

    6/28に、牧の原支店スタッフの第3児女の子が誕生しました。

    今月、7/24にも、牧の原支店スタッフの待望の第1児が、出産予定です。

    産休・育児休暇で、スタッフ減少で、サロンは毎日大変ですが、

    5年連続で、14名の子供たちが、誕生しています。(スゴっ!!)

    去年4人・今年は3人。(11月に牧の原スタッフ第3児出産予定)

    スタッフのハッピーが、まわりもハッピーにしてくれています。

    ひとりひとりの笑顔や、幸せが、まわりに「幸」を運んでくれています。


    IMG_7522.jpg

    毎日・毎月・毎年、スタッフのたくさんの「幸」に包まれて、

    エリアも、26周年に突入しました。

    本当に、感謝・感謝です。

    会社も、オーナーもみんなの幸せを実感できるように、

    感じてもらえるように、厳しく、やさしく頑張っていきますね。

    エリア!!25周年!!!おめでとう!!!!

    アールの川添社長(まとめ)

    • 2012.02.22 Wednesday
    • 22:07
    (1話)
     
    『人生50歳だよ。大井君。』

    私が21歳の時に、社長から出た言葉でした。

    社長は、「それは美容師としての人生ではなく、経営者としての人生設計です。

    経営=事業家=投資という事は借金をすることになるんだ。

    借金は規模に比例して億単位にもなる。それは普通のこと。

    肝心なのはそれを「いつまで」に完済するかってことだよ。

    完済。それは財産になる!

    一億円なら20年。
    30年も払ってたら何も出来ない、チャレンジできないよ。
    一億円を何歳で借りるかで、完済時の歳が、残りの人生がわかるよね。

    子供が大人になって時間に余裕ができる。
    『人生60歳から』なんて僕ら業界には無縁のことだよ。不規則な生活習慣や食事もままならない、一日中、立ちっぱなしで一日12時間以上の数十年の美容師が、60歳から何を楽しみに生きるのかな?積み重ねた疲労で毎日病院と薬を飲む生活も有り得るよ。」と。

    この話は、確か幹部会議室で夜中に各店店長クラスと一緒に聞きました。話を聞いて活かしている仲間は沢山います。
    本当にありがたい話でした。他にも沢山あるんですが。
    川添社長、ほんとにすごい!素晴らしい方でした。

    よく、自己啓発や異業種の成功者のセミナーに多数の参加者がいますが、同じ耳を持って、何%の人が数年・数十年その時聞いたお話、感動した気持ちを維持でき、実行されているのでしょうか?
    お客様との会話の中や、担当営業とのやりとりの中にも「活かせる話」はいくらでもあります。
    「一期一会」の大切さを大事にしていきたいです。



    (2話) 

    たまに、「過去の自分」に会いに行かないと、

    今の自分の位置がぼやけてしまうような感じがします。

    自分は「美容師」を楽しんでいるのか?それとも美容院の「経営」を、職としていくのか?

    先日の川添社長の「言葉」は、単純な「単語の集まり」なのに、「数字」で表せないほど大きな夢へと

    導かれます。50歳までに、「身」を軽くできていないと、「動けない」ということなのか?

    何歳になれば、自分に「時間の褒美」をあげられるのだろう。

    誰より早く習得し、独立し、多店舗出店して「仕事」に費やした時間を取り戻したいって思ったりしま

    す。どうせ苦労するなら、早い若いうちに。って思っていたから。

    50歳をこえて自分は何をしているのだろうか。

    「経営業」や「コンサルタント業」「ショービジネス・コーディネーター業」など、

    美容業界・他業種の事業を手掛ける方も、数多くいます。

    さらに、10年。60歳をこえて、何をしているのだろう?何ができているんだろう?

    「技術職」「手に職がある」ことが、今はいい時代とよく言われていますが、

    60歳過ぎて、サロンワークが、できるのか?いやその前にサロンワークの邪魔になってるかも。

    そうなる前に、人生楽しめることを見つけないとな。

    きっと、これが自分に課せられたこと、生かされている理由だと思うからです。

    (3話)


    「エリア」誕生のvol.2から。(以前投稿)

    なぜヒロ(弟)が、エリアで働くことになったか?
    以前、「ミツイ澤田社長」(2010.5.14投稿)にオープンの準備をして頂いた記事を載せましたが、

    私の働いていた「アール」は1サロン20名スタッフでしたので、3〜4人でのオープニングスタッフは、考えにくく、静岡に知り合いの美容師さんも居なかったしね。
    10人でスタートしたくて、静岡で5人、アールの先輩後輩が3ヶ月〜半年手伝ってくれて、
    「とりあえず」スタッフの一員として、ヒロが加わりました。
    通信美容学校は入店3年目からでしたけど。

    二人毎日、一緒に1台で通勤していたのでGSさんから最初は「バンドやってますか?」
    半年後には「homo?」ですかって?!!!笑った!あとからGSのバイトの子が噂してたって教えてくれた。  ヒロが私を「おにい・おにい」と呼んでたものでしたから。

    エリアは当時藤枝駅南で、アピタと同じ月1回の火曜日が定休日。年間12日だけの定休日でした。

    開業資金は内装・保証金・契約金・機材費で「2000万円」

    申請するも、信金から20万円の融資しかなく、ほぼ全額足りず、
    資金調達に四苦八苦しました。銀行の見解は、「見えるモノ」が無い。

    私の「持っているモノ」・・・免許証・美容国家試験のみ。

    私は「証明できない技術」を一生懸命学んできたつもりでしたが、社会では「現実・現物」。

    大会や、トロフィーや、海外研修、資格などは「業界だけ」のモノなんですね〜。

    何もない私には、「20万円」が限界だったんです。

    アールの川添社長(2010.4.15投稿)の言葉を思い出しました。

    20歳の私に、「店資金1000万円を何年かけて用意するつもりなんだ?」と。

    アパート家賃払いながら、毎月8万円貯金で12年?って頭では計算しましたが、

    川添社長は「貯金なんて考えるな!」「3年!」あれば大丈夫。「人を魅了。人を変えられる」って簡単

    に言ったなぁ〜。今の必要な1000万円は10年後には1300万円無いと同じものができないかもっ1

    て。その間に結婚や、子宝を持ったら、店は難しく、遅くなるよ。と

    そこからまた300万円貯めるための年月が流れる・・・。 何歳で自分の店が持てるんだ???

    では「3年」で何をする??「他人に自分の将来性に値段を付けてもらう。信用を買ってもらう」と。

    「信用」を3年で手にいれること、なんだと。そのために何をするかは、自分次第だと。

    簡単な計算式はこうだ。

    1万円を出資・カンパ・出世返しokで、協力してくれる人を3年で1000人。

    10万円を、同じ条件で、100人。 

    100万円を同じ条件で、10人。

    当時月400〜500名の指名客がいたので、すごく気が楽になりました。年間3000人を担当するとし

    て、3年で1万人。10人100万円くらいは大丈夫だろうと。

    時代はバブル。東京で、ゼネコン社長夫人が一人で2500万円出資して頂けることに話しがまとまり

    ましたが、両親に吉報のつもりが、反対されて「それなら」静岡でと帰郷することに。

    ・・・しかし、
    信金で20万円しか借りれない私に、

    親父が「ほんとうに、できるんだな?」

    私「できるだけの勉強はしてきたつもり。無いのは金だけだ。」

    親父「貸す金は1円も無いが、担保は貸してやる。」

    私「お願いします。」

    私が高校1年生の時に、両親が2軒目の家を建ててくれ自分の部屋もでき引っ越しました。

    1軒目は生まれてから中学3年まで、部屋も無く、ヒロと2段ベットで受験勉強をしてきましたから、

    とても嬉しかったです。

    親がずっと働き詰めで、手に入れた新居を担保にしてくれなかったら今の、人生は無かった。

    ヒロも同じです。

    男二人兄弟。

    それも中々、いいものです。

    感謝しています。


    軌跡・・・vol.7  現・牧之原店「トゥワス」。旧・相良店「ディボート」

    • 2010.08.06 Friday
    • 23:07
    お決まりの「美味いもん」ネタ。

    炉端焼居酒屋 「みゆき」さんでお夕飯です。

    100806_1749~01.jpg

    串焼き 各種¥150〜¥210 
    100716_2108~01.jpg

    もつ煮込み・・・ばかうま(オハコです) 
     
    おにぎり各種(昆布・明太子・さけ・うめ)

    今日は、静岡空港所在地でもある、「牧之原支店 トゥワス」。

    牧之原は、旧榛原町&相良町が合併してできた市です。

    空港開港の「記念」に、リニューアルしました。

    開港前年、スタッフが4人ほど出産ラッシュがありまして、大変な年だったんです。
    少ないスタッフで、本当によく乗り切ってくれました。

    過去10年間で、前店長・幹部も、5名ほど市内で独立開業して、成功しています。
    技術はもちろん、もともと感性が抜群。安心していられます。

    皆「職人気質」なので、身体は気をつけて下さい。美容師人生はとても短いですから。
    特に、男性はね。

    まず、なぜ「相良」進出だったのか?答えはひとつ!「遠いから」です。
    藤枝から、近い場所に支店があると、気になって、気になって、こっそり見に行ってしまうから。
    すぐ行き来出来ないと、「あきらめる」からです。

    相良町は、歴史のある町なんです。

    静岡〜藤枝〜相良とつなぐ「田沼街道」が、「田沼意次」からとったんですよ。
    田沼意次の城跡が、相良町の丘の上にあるんです。

    ほじっていったら、きっと「さらに、すばらしい」町に気が付くでしょう。

    さて、ネーミングなのですが、「ディボート」とは簡単に言うと、

    「持っているもの、身に就いているもの、(技術・気持ち・金銭)を“おしみなく捧げる”」です。

    私達・・・「美容師」の「師」としての本当の意味 

    だれの為の技術なのか?   だれの為の勉強会・講習会なのか?  
    誰のために、この「職」なのか?を、説いた店なんです。

    現在は、女性スタッフ(5名)スタイリストで頑張っています。(先月7月最高売上記録)






    軌跡・・・誕生!color shop zip-zip ヘアカラー専門店

    • 2010.08.04 Wednesday
    • 22:59
     

    これ!「アストンマーティン DB9 ヴォランテ」 といいます。
    「007 慰めの報酬」のオープニングのカーチェイスでボンドが乗っています。
    これは、オープンカーですが。かっこいいでしょ。

    さて、「軌跡シリーズ」も中盤になってきましたが、今回は、
    平成10年6月オープンした、日本初の「カラーサロン」を振り返りましょう。

    ネーミングで、「B」は、吉田店に隣接したエステ&アロマボディのブルームです。
    「C」は、自然に、「カラー」でしたが、店名にはきつかったので。「カラー専門店」にしました。

    ホームカラーがパブリックに量販されている中、「ホームカラー」に、業界大手のウェラ・ホーユーなど、美容業界サロン専売品にも流通している「カラー」に溢れていました。

    今から、12年ほで前、時代は、
    「ダニエルギャルビン」のウィービング・スライシングなど、「ホイルワーク」が大ブレーク。
    ブリーチや、「ガンガンメッシュ」なるネームで、バカうけ。
    そんなブームに開店しました。

    オープン当日は、あいにくの雨。
    記念として2日間、ご来店のお客様「無料招待」
    20人ほどのお客様が、オープン前から、傘を並べてお待ちかね。
    慌てて、本店エリアより、応援部隊投入。
    15坪のサロンに、スタッフ10名。お客様10名。
    結局、入りきらず、営業も終わらず、後日にご予約を取り直し、50名以上の「招待」となりました。
    ・・・が、これがよかった。

    スタイリストよりも、カラーリストに興味のあるアシスタントが急増。
    カラーの勉強になればと、開店したサロン。

    なんと、「スタイリスト」がサロンに居ないんです。
    美容院登録なのに、カットもパーマもメニューに無い。

    料金システムは、
    1 カラー剤塗布&シャンプー&ドラィが¥1900

    2 ブローはセルフ

    3 初回は、サロンカラー剤を購入して頂く(1本単位)
      ・・・(ここで、カラーリストの卵達が、一生懸命色彩学を活用してカウンセリング)

    4 1本の残液は、ボトルキープのように、3ヶ月間はお店でキープ(カード&カルテに残量を記入) 

    5 同じメーカーであれば、「色の変更」可能。

    6 メーカーさんのご協力で、材料は「委託」。無くなった本数だけ、納品。精算。

    7 あとは、秘密。

    最初は、「材料費」と「売上」が心配でしたが、「7」があるため伸びていきました。 

    50日周期のカラーと、2週間おきのカラーと結果、後者のほうの単価がいいんです。

    なぜなら、「技術代&薬液代金」。キープしているため、「もったいない」。
    「色の変更可能」が、トーンや色味への挑戦・好奇心が増すんですね。

    アシスタントはどんどんプロになっていくし、お客様に「次はカットもお願い」って感じで、
    スタイリストの勉強も積極的になってきましたもん。
    結果、スタッフはミリオンスタイリストレベルまで、上達しましたから。

    今思えば、4人の「平均年齢20歳」でした。

    ほんとによく、頑張ったね〜。時間単価では最高だったね。
    メニューでは、
    「根元カラー&全体染め&ウィービングブリーチ80枚&オンカラー」材料費があるから、
    一人3万円くらい。

    エクスブームが、引き続いたから、なおさら良かったね〜。

    zip-zip は「擬似音」といって、意味がないんです
    漫画にある、居眠りの「Z・・・・zzzz」なんです。




    軌跡・・・弟 吉田店「ゾディアーク」誕生

    • 2010.08.03 Tuesday
    • 22:07

    今日は、2時間ほどの時間にマイナスイオンを浴びに、
    旧岡部町に行ってきました。
    昨日とは、違って「晴天」でした。

     100803_1325~020001.jpg

    100803_1324~010001.jpg

    「ゾディアーク」・・・実は呼び易いので、短縮してあるんです。
    メンバーカードや、チラシ・パンフレットには記載してあるんですが、

    正式名は、「art  le saviour zodiac 」 アート・レ・ソベェール ゾディアーク
    art   芸術
    saviour 救世主
    zodiac 12宮ホロスコープ(ここでは、誕生日。万人という意で使用しています)

    「万人の為の芸術の救世主」。

    すごく「大切な想い」があるんです。

    1 初めての「支店」であること。
    2 実家である吉田町。
    3 弟の初勝負のサロン

    上記の理由で誕生しました。
    2店舗目「ネーミング」は、数年間あたためてきましたから、
    これも、「重い」ですね。

    19歳・・・美容師見習いのヒロは、毎日毎日慣れない接客でとても大変だったと思います。

    毎日30名以上の「シャンプー」&「カラーシャンプー」

    ヒロがいまだ、「自分でシャンプー」するのもこの経験からかな?仕事上、育成の為に、
    「シャンプーさせて」いますが、担当客はヒロ自身で対応したいんだと思います。
    今の時代、あまり聞きませんが「シャンプー指名数」は、半端なかったですね。

    本人は、口癖で「シャンプーの下手な奴わぁ〜、スタイリストになっても指名は獲れん」と。
    今日も言っていることでしょう。

    何もできないヒロには、自信をつけさせることとして、「全国先行20名資格所持カラーアナリスト」の
    資格を当時50万円ほどかけて「4シーズンカラー」「暖・寒色カラー」を取らせました。

    2〜3年してから本格的に勉強しながら「通信美容学校」を経て、晴れて美容師に。

    7年くらいで「トップスタイリスト」に。
    当時、時代は「カラーブーム」。多様な「新技術・薬剤・ノウハウ」が発表されました。
    カットではロサンゼルスの「ヴィタル・サスーン」の海外研修。

    そこで、石井君と知り合い、ゾディアークのオープニングスタッフとして平成9年12月9日開店。

    弟の車好きは「自分へのご褒美」だそうです。毎日毎日働いて、週1のお休みに「愛車」に乗る。
    この仕事に就いてからは、
    プレリュード トランザム セルシオ20 セルシオ21 レクサスGS レクサスLS BMW−Z4si-s
    なんか、抜けてたかな〜?多分こんな車歴だった。

    まあ、兄弟2人。喧嘩をしたことが無いので、このままいい関係で年をとりたいですね。





    軌跡・・・「エリア誕生」 vol.4 その前に「よくやった!!」とても嬉しいよ。スタッフ達。

    • 2010.08.01 Sunday
    • 22:16

    まずは、「美味いもん」ネタからです。
    ネタがないと、話が「重い」らしくて。つまらないとさ。

    今日は、月1回の全体ミーティングでした。
    まずは、スタッフを褒めましょう!
    牧之原店「トゥワス」が、7月度「過去最高売上」で目標達成しました。
    ミーテイングのたびに私に怒られ、すべての「交渉」も断たれ続けてきた「トゥワス」
    先週末で、すでにクリアーしたもようで、電話に出たスタッフが「威張って」ました。

    良く頑張った。多分、私よりも「本人達」が終始笑顔だったことが、うれしかったヨ。
    私からは一言「マメなこと=面倒なこと。マメを絶やさず、し続けたことがいい結果に。」

    来月(8月度)も、頑張ってなぁ〜!!

     100730_1917~010001.jpg
    「かつ富」のとんかつ&ひれかつ定食」
    味噌汁・ライス・キャベツは「おかわり自由」ですよ。


    では、
    「1000万円」の死に貯金より、「100,000,000円」の活きる借金。
    のアホな話をしますね。
    「1000万円」持ってても、1年〜3年後も「1000万円」。それは「死に金」。
    持ってても、活きてない金なんです。

    1日で1000万ポンッと遣える払いが、いつでもできるなら、
    それは「活き金」ですよ。
    「活きる金」を、どれだけ遣えるかが、大小決まるよ。


    私は「20万円」の価値を付けられた経営者としてスタートしました。

    開店して最初の火曜日(昔は業界は火曜日がお休み)に、オープン準備やらで溜まっていた疲れた身体を休めていると、親父が「何寝てんだ!何休んでんのか?」と普通に叱られ、それからは
    月1回のお休みになったわけです。(銀行での資金が足りず、融資が下りるまでの間、親族に借金をしていたためですが。)

    平成元年7月14日。「ヘアーモード エリア」
    オープン初日から、開店前には行列が。ビル1Fが未完成だったので、お客様を1Fまでスリッパを用意して、お出迎えをしました。1日30〜50人ほどのお客様が毎日御来店で、それはそれは楽しかったです。 

    オープンとほぼ同時期に、多数の不動産屋に「土地」物件を探してもらうのを、お願いしました。
    24〜29歳までの5年間で、「実績」を。30歳でその「信用」を勝ち取るためです。

    しかし、実際に「見つけた」のは平成7年。グランドオープンは、翌年8年11月23日でした。
    大きな買い物でした。 「エリア デュクス」誕生です。 敷地250坪 建坪80坪2F建て

    それからは、1年ごと1店舗展開でした。

    目標は、アルファベット順の「店名制覇」を意味も無く決め、Zは〆として、第1号支店に。弟に。
    A・・・area deux
    B・・・blome
    C・・・color shop zip-zip
    D・・・divout
    E・・・emule

    ~ Z ・・・zojiack

    異業種を、1店舗。

    「1店舗につき、新車1台。」
    これは失敗しても、「事故」とあきらめられる金額として。それと、ローンもリースも1店舗5年完済。

    5年で5店舗は、今思えば、きつかったなぁ〜。スタッフ50名くらいかな。
    店長クラスは、普通に50〜70万円くらいの月給あったくらいだから。頑張ってくれました。

    このころから、「違和感」を感じましたね。
    このまま、店舗展開を繰り返して「何」が残るのかと。スタッフも怒るし。

    いつも車で、東西南北走り、空テナントを見つけては、その場で不動産屋と、内装屋さんに電話。
    家賃交渉と、工期日程を決めて、2ヶ月後にはオープン。

    信頼のおける、いいスタッフは、たくさんいましたね。「次、店長やってみない?」くらい。

    スタッフには、本当に「迷惑なオーナー」です。
    今思えば「悪かったなぁ」。「ほんとだよ!!」って声が聞こえる。。。

    どうしてもスタイリスト人数と、サロンの「キャパ」が不釣り合いになってくる。
    セット面が足りなくなり、お客様を御断りしたり、時間をずらすように。
    トップスタイリストになり、技術の次に、「経営」サイドを教えたくなる。

    理由はいろいろだが、「店」を任せてみる。

    嬉しいことに、エリアから、20名ほどの「独立開業者」がいます。

    みんな個性あるサロンで頑張っています。
    エリアを「最終職歴」にして、卒業して、独立した以上、小さくてもいい。1店舗でもいい。

    「職人」として、頑張れ。
    そして「人生」を楽しめ。
    いい経営者の、見本・手本にはなれなかったが、「真似したくない経営者」として参考にしな。

    辞めるな。あきらめるな。「趣味」レベルで終わるなよ。

    想いだけじゃ、「幸せ」にはなれんよ。





    軌跡・・・「エリア誕生」vol.3

    • 2010.07.30 Friday
    • 17:28

    結果、私の「力」は、金戦力はゼロだったというみじめな話。
    頭の中で、「どんな熱意・すばらしい設計」や、心に「どんな信念・思い入れ」が、
    あっても「形」が無いと、無念・無心で終わってしまう「現実の社会」があります。

    「すばらしい計画だ!」では、金は出てこない。

    親が居て、家があって、親が信じてくれてほんとによかった。うれしかった。
    ・・・そこで・・・。

     昨夜お話に出てきました、お客様の旦那さまも20年以上前からの知り合いです。
    (ここでは、彼と呼ばせて頂きます。年上ですが。)

    彼は、子供達の為に、家以外に、お金も残そうとも思っているかもしれません。
    しかし、今、確実に3つの「資産」を持っています、「土地・建物」というより、「一棟ごとマンション・アパート」です。
    子供たちが将来どのような仕事に就いて稼ぐ「給与」だけでなく、「大家」としての「家賃収入」を遺そうとしています。
    彼はまだ50歳過ぎくらいかな?
    あと、「もう一つ」購入するんです。子供一人に「一つ」です。

    そんな考えをもう何十年も前から持ち、実行してるんですね。
    子供が大人になり、お金に換えたければ売り払い、資産を担保にやりたい事業・会社を立ち上げられる・・。


    親は、子の為に「どこまでできるのか?」

    「サービス業・接客業・技術職」の親は、子供の行事・お休みにどれだけ参加できたか?
    土・日曜にどれだけ時間を費やしたか?
    春・夏・冬休み、ゴールデンウィークに何年・何日間、思い出を創れたか?
    幼稚園までならね何とか休ませて。中学・高校生では中々無理。部活や友人関係もあるしね。


    私は「いい親」ではない。とわかってる。

    罪滅ぼしや、罪悪感ではないが、「彼」の考えに自分は「正論化・正当化」している。

    子供達が大きくなって、社会に出て、もまれ、人に関わり、悩み、成長して、
    好きな相手ができて、結婚して、子供に恵まれ「親」になった時に、初めて「わかる」こともあるだろう。
    「どう思われている?」かを知る前に、私はこの世には居ないだろうな。

    だったら、親として「何かを遺す」ことを私もしていこうと。
    それが「意志」でも「資産」でもいい。なんかの「足し」になればと。

    私の親が、私にしてくれたこと。すごいことだと思う。
    私も、子にそうしようと思っているから。

    私が「こだわっていること」それは開店時22年前の「信金の20万円」から、
    すでに始まっていたこだわり。
    他人から、この考えが「正しい・間違えてよう」が「どうでもいい」。

    親としての「自分の意志」がそうさせていること。

    将来、子供達がやりたいことに「お金」での「遺し」はしない。



    明日は、
    「1000万円」の死に貯金より、「100,000,000円」の活きる借金。
    のアホな話をしますね。
    「1000万円」持ってても、1年〜3年後も「1000万円」。それは「死に金」。
    持ってても、活きてない金なんです。
    1日で1000万ポンッと遣える払いが、いつでもできるなら、
    それは「活き金」ですよ。








    軌跡・・・vol.2 「エリア誕生」 初心は忘れられない。財産は「出逢った人すべて」

    • 2010.07.29 Thursday
    • 20:59
     
    まずは、「食い」ネタからですよ〜。
    大洲中学校となりの「ベトコンラーメン」で有名な「よしみラーメン」です。
    エリアから車で2分の便利さもあって行ってますヨ。

    ランチタイム  には「お得なセットメニュー」がオススメです。
    「焼肉・ライス・半ラーメンセット」¥850


    100728_1305~010001.jpg

    さて、「エリア」誕生のvol.2です。

    なぜヒロ(弟)が、エリアで働くことになったか?
    以前、「ミツイ澤田社長」(2010.5.14投稿)にオープンの準備をして頂いた記事を載せましたが、

    私の働いていた「アール」は1サロン20名スタッフでしたので、3〜4人でのオープニングスタッフは、考えにくく、静岡に知り合いの美容師さんも居なかったしね。
    10人でスタートしたくて、静岡で5人、アールの先輩後輩が3ヶ月〜半年手伝ってくれて、
    「とりあえず」スタッフの一員として、ヒロが加わりました。
    通信美容学校は入店3年目からでしたけど。

    二人毎日、一緒に1台で通勤していたのでGSさんから最初は「バンドやってますか?」
    半年後には「homo?」ですかって?!!!笑った!あとからGSのバイトの子が噂してたって教えてくれた。  ヒロが私を「おにい・おにい」と呼んでたものでしたから。

    エリアは当時藤枝駅南で、アピタと同じ月1回の火曜日が定休日。年間12日だけの定休日でした。

    信金から20万円の融資しかなく、ほぼ全額足りず、
    資金調達に四苦八苦しました。銀行の見解は、「見えるモノ」が無い。
    私の「持っているモノ」・・・免許証・美容国家試験のみ。
    私は「証明できない技術」を一生懸命学んできたつもりでしたが、社会では「現実・現物」。
    大会や、トロフィーや、海外研修、資格などは「業界だけ」のモノなんですね〜。
    何もない私には、「20万円」が限界だったんです。

    アールの川添社長(2010.4.15投稿)の言葉を思い出しました。
    20歳の私に、「店資金1000万円を何年かけて用意するつもりなんだ?」と。
    アパート家賃払いながら、毎月8万円貯金で12年?って頭では計算しましたが、
    川添社長は「貯金なんて考えるな!」「3年!」あれば大丈夫。「人を魅了。人を変えられる」って簡単に言ったなぁ〜。今の必要な1000万円は10年後には1300万円無いと同じものができないかもって。その間に結婚や、子宝を持ったら、店は難しく、遅くなるよ。と
    そこからまた300万円貯めるための年月が流れる・・・。 何歳で自分の店が持てるんだ???

    では「3年」で何をする??「他人に自分の将来性に値段を付けてもらう。信用を買ってもらう」と。
    「信用」を3年で手にいれること、なんだと。そのために何をするかは、自分次第だと。
    簡単な計算式はこうだ。
    1万円を出資・カンパ・出世返しokで、協力してくれる人を3年で1000人。
    10万円を、同じ条件で、100人。 
    100万円を同じ条件で、10人。
    当時月400〜500名の指名客がいたので、すごく気が楽になりました。年間3000人を担当するとして、3年で1万人。10人100万円くらいは大丈夫だろうと。

    時代はバブル。東京で、ゼネコン社長夫人が一人で2500万円出資して頂けることに話しがまとまりましたが、両親に吉報のつもりが、反対されて「それなら」静岡でと帰郷することに。

    ・・・しかし、
    信金で20万円しか借りれない私に、
    親父が「ほんとうに、できるんだな?」
    私「できるだけの勉強はしてきたつもり。無いのは金だけだ。」
    親父「貸す金は1円も無いが、担保は貸してやる。」
    私「お願いします。」

    私が高校1年生の時に、両親が2軒目の家を建ててくれ引っ越しました。
    1軒目は生まれてから中学3年まで、部屋も無く、ヒロと2段ベットで受験勉強をしてきましたから、とても嬉しかったです。
    親がずっと働き詰めで、手に入れた新居を担保にしてくれなかったら今の、人生は無かった。
    ヒロも同じです。

    私の22年来のお客様の旦那さまは、私の考え方を変えさせた「すばらしいパパ」です。
    明日は、その話を書かせて頂きます。



    軌跡・・・vol.1 「エリア誕生」ちょっと物語に入って見て下さい。今回は蕎麦やゴルフじゃないよ〜。

    • 2010.07.28 Wednesday
    • 18:50
    100513_1203~01.jpg
    暑いですね〜。  

    早めの昼食をみんなでまた、蕎麦の「神楽屋」さんへ。
    4時間の長い講習会の待ち時間を、どう過ごそうか?

    静岡・清水に、メール送信。
    愛宕に集合となりました。
     
    35℃近くありましたが、時折、風が吹き抜けて
    しかし、暑い。
    100球ほどを丁寧に打ち、1100円でした。安っつ。



    暑いなか、「熱い」話しで盛り上がり、近状報告や、仕事・スタッフの
    話しなどをしていました。

    一番の話題は「スタッフの育成・自立精神向上」でしたが。
    最近よく、ニュースや、セミナーで耳にする「親の教育」。
    なんでも、「親のせいになるの?」

    家があったり、部屋があったり、自分だけの寝床があるのは、当たり前ですか?

    あたたかいご飯が炊けてたり、冷蔵庫に飲み物や、つまむもの、食べ物は当たり前ですか?

    今の「24時間の時間」は貴方だけのものですか?ご両親が他界するまでに「何をかえせますか?」

    自分だけで「大人」になりましたか?その大人になった自分は今、誰のために活きていますか?

    私が言いたいのは、親がどんな想いで貴方を大きくし、費やした気持ちに対して、
    「どう、応えていますか?」ってことです。


    私は知っての通り、弟がいます。男2人兄弟なんですが、5歳離れています。
    私の両親は共に5人兄弟の真ん中くらい。高校も行けず、16歳から社会に出ています。
    両親は、小学生から、家の手伝いや、新聞配達など家計を助けていました。
    兄弟の進学の資金集めのためです。両親の妹・弟たちは、進学しています。

    結婚後も共稼ぎでした。

    私は5年間保育園・幼稚園。
    あとは「おばあちゃんシゲ」に預けられていました。
    小学校・中学校時期は家までは、徒歩で1時間くらいの町はずれの小さな家でした。
    毎日だれも居ない台所のテーブルには、かごがあり、四季のフルーツがありました。
    大学にも行けるように普通科高校を卒業し。この世界へ。

    多分、私の両親は「大学卒業」を期待していたのかもしれません。
    結果ですが、兄弟「水商売」。高校卒止まりでしたが。

    1度だけ親に尋ねたことがあります。美容専門学校で東京に出る時。
    私・・・「大学に行ったほうが、よかったか?」
    親・・・「途中で辞めるなら、帰ってくるな」
    両親は、私が生まれてから、今までも、ずーっと共稼ぎで働いていました。

    そんな息子が、23歳の時、「店」を出す。と言い出したときに、
    「金は無いよ」と。
    テナント契約金だけで500万、合計2000万円の見積もり書を某信金へ行きました。
    結果、融資可能金額は「20万円」。

    このあと、弟はサラリーマンをやめて、この業界へ。

    なぜ店が開店できたのか?この続きは、また明日。



     



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