(1話)
『人生50歳だよ。大井君。』
私が21歳の時に、社長から出た言葉でした。
社長は、「それは美容師としての人生ではなく、経営者としての人生設計です。
経営=事業家=投資という事は借金をすることになるんだ。
借金は規模に比例して億単位にもなる。それは普通のこと。
肝心なのはそれを「いつまで」に完済するかってことだよ。
完済。それは財産になる!
一億円なら20年。
30年も払ってたら何も出来ない、チャレンジできないよ。
一億円を何歳で借りるかで、完済時の歳が、残りの人生がわかるよね。
子供が大人になって時間に余裕ができる。
『人生60歳から』なんて僕ら業界には無縁のことだよ。不規則な生活習慣や食事もままならない、一日中、立ちっぱなしで一日12時間以上の数十年の美容師が、60歳から何を楽しみに生きるのかな?積み重ねた疲労で毎日病院と薬を飲む生活も有り得るよ。」と。
この話は、確か幹部会議室で夜中に各店店長クラスと一緒に聞きました。話を聞いて活かしている仲間は沢山います。
本当にありがたい話でした。他にも沢山あるんですが。
川添社長、ほんとにすごい!素晴らしい方でした。
よく、自己啓発や異業種の成功者のセミナーに多数の参加者がいますが、同じ耳を持って、何%の人が数年・数十年その時聞いたお話、感動した気持ちを維持でき、実行されているのでしょうか?
お客様との会話の中や、担当営業とのやりとりの中にも「活かせる話」はいくらでもあります。
「一期一会」の大切さを大事にしていきたいです。
(2話)
たまに、「過去の自分」に会いに行かないと、
今の自分の位置がぼやけてしまうような感じがします。
自分は「美容師」を楽しんでいるのか?それとも美容院の「経営」を、職としていくのか?
先日の川添社長の「言葉」は、単純な「単語の集まり」なのに、「数字」で表せないほど大きな夢へと
導かれます。50歳までに、「身」を軽くできていないと、「動けない」ということなのか?
何歳になれば、自分に「時間の褒美」をあげられるのだろう。
誰より早く習得し、独立し、多店舗出店して「仕事」に費やした時間を取り戻したいって思ったりしま
す。どうせ苦労するなら、早い若いうちに。って思っていたから。
50歳をこえて自分は何をしているのだろうか。
「経営業」や「コンサルタント業」「ショービジネス・コーディネーター業」など、
美容業界・他業種の事業を手掛ける方も、数多くいます。
さらに、10年。60歳をこえて、何をしているのだろう?何ができているんだろう?
「技術職」「手に職がある」ことが、今はいい時代とよく言われていますが、
60歳過ぎて、サロンワークが、できるのか?いやその前にサロンワークの邪魔になってるかも。
そうなる前に、人生楽しめることを見つけないとな。
きっと、これが自分に課せられたこと、生かされている理由だと思うからです。
(3話)
「エリア」誕生のvol.2から。(以前投稿)
なぜヒロ(弟)が、エリアで働くことになったか?
以前、「ミツイ澤田社長」(2010.5.14投稿)にオープンの準備をして頂いた記事を載せましたが、
私の働いていた「アール」は1サロン20名スタッフでしたので、3〜4人でのオープニングスタッフは、考えにくく、静岡に知り合いの美容師さんも居なかったしね。
10人でスタートしたくて、静岡で5人、アールの先輩後輩が3ヶ月〜半年手伝ってくれて、
「とりあえず」スタッフの一員として、ヒロが加わりました。
通信美容学校は入店3年目からでしたけど。
二人毎日、一緒に1台で通勤していたのでGSさんから最初は「バンドやってますか?」
半年後には「homo?」
ですかって?!!!笑った!あとからGSのバイトの子が噂してたって教えてくれた。 ヒロが私を「おにい・おにい」と呼んでたものでしたから。
エリアは当時藤枝駅南で、アピタと同じ月1回の火曜日が定休日。年間12日だけの定休日でした。
開業資金は内装・保証金・契約金・機材費で「2000万円」
申請するも、信金から20万円の融資しかなく、ほぼ全額足りず、
資金調達に四苦八苦しました。銀行の見解は、「見えるモノ」が無い。
私の「持っているモノ」・・・免許証・美容国家試験のみ。
私は「証明できない技術」を一生懸命学んできたつもりでしたが、社会では「現実・現物」。
大会や、トロフィーや、海外研修、資格などは「業界だけ」のモノなんですね〜。
何もない私には、「20万円」が限界だったんです。
アールの川添社長(2010.4.15投稿)の言葉を思い出しました。
20歳の私に、「店資金1000万円を何年かけて用意するつもりなんだ?」と。
アパート家賃払いながら、毎月8万円貯金で12年?って頭では計算しましたが、
川添社長は「貯金なんて考えるな!」「3年!」あれば大丈夫。「人を魅了。人を変えられる」って簡単
に言ったなぁ〜。今の必要な1000万円は10年後には1300万円無いと同じものができないかもっ1
て。その間に結婚や、子宝を持ったら、店は難しく、遅くなるよ。と
そこからまた300万円貯めるための年月が流れる・・・。
何歳で自分の店が持てるんだ???
では「3年」で何をする??「他人に自分の将来性に値段を付けてもらう。信用を買ってもらう」と。
「信用」を3年で手にいれること、なんだと。そのために何をするかは、自分次第だと。
簡単な計算式はこうだ。
1万円を出資・カンパ・出世返しokで、協力してくれる人を3年で1000人。
10万円を、同じ条件で、100人。
100万円を同じ条件で、10人。
当時月400〜500名の指名客がいたので、すごく気が楽になりました。年間3000人を担当するとし
て、3年で1万人。10人100万円くらいは大丈夫だろうと。
時代はバブル。東京で、ゼネコン社長夫人が一人で2500万円出資して頂けることに話しがまとまり
ましたが、両親に吉報のつもりが、反対されて「それなら」静岡でと帰郷することに。
・・・しかし、
信金で20万円しか借りれない私に、
親父が「ほんとうに、できるんだな?」
私「できるだけの勉強はしてきたつもり。無いのは金だけだ。」
親父「貸す金は1円も無いが、担保は貸してやる。」
私「お願いします。」
私が高校1年生の時に、両親が2軒目の家を建ててくれ自分の部屋もでき引っ越しました。
1軒目は生まれてから中学3年まで、部屋も無く、ヒロと2段ベットで受験勉強をしてきましたから、
とても嬉しかったです。
親がずっと働き詰めで、手に入れた新居を担保にしてくれなかったら今の、人生は無かった。
ヒロも同じです。
男二人兄弟。
それも中々、いいものです。
感謝しています。